はじめてジャーナリングをしたとき、
自分の書き出したものを見て思ったのは、
「愚痴しか書いてないな」
頭の中のモヤモヤを書き出してるんだから、
自然とそうなるのは
当然といえば当然なんだけど・・・。
目の前に文字としてカタチになった
愚痴まみれの紙を見たとき、
なんだかすごく嫌な気持ちになったんです。
自分の内面を
見せつけられてるというか・・・。
自分の感情なのに、居心地が悪い。
普段は見ないようにしてる本音を
直視したからかもしれません。
ありのままの感情を見て、
「こんだけ愚痴があるんなら、
その原因を解消すればいいじゃん」
って思ったりもするけど、
解決のために動けない自分がもどかしくて。
わかってるんだけど、
いろんな兼ね合いで動けないって
誰しもあるんじゃないかと思ってて。
・・・え?あるよね?
とはいえ、
「モヤモヤを言語化できただけでも、
頭の中が整理されて上出来じゃん」
って思ってました。
愚痴って見てて
気持ちいいものではないけど、
これが正直な感情だしなーって。
でも最近、この愚痴も
意味のあるものなんじゃないかって
思うようになりました。
というのも、愚痴を吐き出すことで、
【自分が大切にしたいものを発見】
できることがあると気づいたから。
ジャーナリングのテーマを
「モヤモヤを吐き出す」にしたら、
愚痴メインになってしまうのは当然。
だって、モヤモヤしていることを書いてるから。笑
だから、そもそも
愚痴を吐き出すこと自体は悪いことじゃない。
吐き出した文字を見て、
「うわー…こんなこと思ってたんだ」って
ドン引きすることもあるかもしれない。
でもじつは、その吐き出した感情の中に、
自分が大切にしたいものが
隠れてることがある。
たとえば、
「仕事が忙しすぎてしんどい」
って書いてたとします。
そうすると、
「もっと人を頼る」
「効率化しなきゃ」
「わたしが気にしすぎなのかも…」みたいに、
どう改善するか?って考えそうになる。
でも、かならずしも
自分を変えることだけが答えじゃない。
書き出した感情を眺めてると、
- 「もしかしたら、自分が大切にしたい仕事のペースと今の環境が合っていないのかも」
- 「私が本当に嫌なのは、仕事そのものじゃなくて、毎日を追い立てられるように過ごすことなのかも」
みたいに、
自分が大切にしたいものが見えてきたりする。
そして、自分にとって大切なものがわかると、
不思議と明るい気持ちになれるんですよね。
否定するものから、自分自身の味方になれる。
ダメなとこを修正するんじゃなく、
これからの選択に生かしていくというか。
ジャーナリングを通して感じられるものって
ほんと多いなって感じてます。
だから、ジャーナリングはやめられない。
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