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ジャーナリングは螺旋階段のよう

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「ジャーナリングすると
気持ちがスッキリするって聞いたのに、
全然変わんないじゃん!」

はじめてジャーナリングをした人は
だいたいこのパターンになるんじゃないかって思ってます。

わたしも
はじめてジャーナリングしたとき、
同じように感じたから。笑

当時は、
「自分にはジャーナリングは
向いてないのかもな」って思ったんですが、
今振り返ると、
1回やっただけで判断するのは早いなって。

というのも、ジャーナリングって
螺旋階段みたいなんですよね。

一段登っただけじゃ
ぶっちゃけスッキリするかよくわからない。

なんなら、
「スッキリするって聞いたのに
全然スッキリしないじゃん!」と逆にモヤこともw

だからといって、
一気に階段を駆け上ったら
急に見える景色が変わって、
「めちゃくちゃスッキリして
悩みなんてなくなりました!」ってなるとも限らない。

ジャーナリングって
真っ直ぐ直線に進む階段じゃなく、
同じところを何度も通りながら、
少しずつ見え方が変わっていく
ものなんじゃないか。

たとえば、1回目は
気持ちを外に吐き出すという
行動をしてみただけで終わる。

何度か同じように書いてるうちに、
「モヤモヤの原因はもしかしてこれかも」
ということに気づく。

さらに何度か続けると、
「このモヤモヤを解消するために、
本当は自分はどうしたいんだろう?」
と考えるようになる。

つまり、同じ「自分と向き合う」ということを
何度も繰り返してるうちに、
同じようなことでも
少しずつ見えるものが変わってくる。

これが螺旋なんじゃないかなって。

自分の心を深掘っていうなら、
階段を登るじゃなく、
1歩ずつ降っていくって
表現の方がしっくりくるかも。

あと、何度も
ジャーナリングをして気づいたのは、
ジャーナリングって知識として
理解するのは難しいんじゃないかということ。

ジャーナリング推しの人たちが、

「悩みが減った」
「頭の中が整理できる」
「自己理解ができた」
「人生が変わった」
「すっきりした気持ちで1日をスタートできる」

と言うのをよく見たりするけど、
最初はさっぱりわかりませんでした。笑

でも、10回20回と続けていくうちに、
「あぁ、あの人たちはこの感覚のこと言ってるのかも」って、
自分の体験としてわかる瞬間が来たんです。

知識として理解するんじゃなくて、体験として腑に落ちる。

だからジャーナリングって、
「教えてもらって理解するもの」じゃなく、
「自分で何度もやって、
あとから意味がわかってくるもの」
なのかもしれない。

「書いても何も答え出ないじゃん」
みたいになることもある。

でも、それは失敗じゃない。
まだ階段の一段目にいるだけ。

もしかするとその一段目でやっていることは、
「答えを出す」ことじゃなく、
「自分の気持ちを無視しない」
ことなのかもしれません。

うーん、ジャーナリングって奥が深い。
でもそこが楽しいからやめられない!

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